映画、おくりびと
予想以上にすばらしい。
最近、地方都市で、ロードサイドに空き店舗ができるたびに増えていっているのが葬祭場らしいが、死亡率が出生率を超えたこの国では当然のことなのだろう。私の周りでも、両親の年齢で亡くなる方が出てきているのはもちろんのこと、自分たちも40を超えて、死が必ずしも珍しいことではないし、もちろん、もっと若い年齢での衝撃の死もあり、年に何度かは「死」を考えることが増えてきた。
その一方で、昔社会福祉の勉強のときに学んだのだが、日本ではほとんどの死が病院で起こり、自宅で見取られることはほとんどなくなってきているという。 冠婚葬祭の中でも、もっとも準備を本人がゆっくり考える余裕がないイベントでもあり、最近やっと準備ノートのようなものが出てきてはいるが、いざとなると、例えば両親との会話でさえ、「死」を話題にすることは、縁起が悪い、タブーのような感じがあり、なかなか難しい。
そんな中、日常から「死」が切り離され、逆にそれが死を受け止めるということ、、死生観を育てる、といったことを阻んでいるのでは、というような指摘があった。
「おくりびと」が描いているのは、まさにそんな問題提示。母の死に目に会えず、実際に遺体を見たことがなかった主人公が、父を納棺夫として見取ることで初めて自分と母親を捨てた父を受け入れられた、という話がメインとなり、納棺夫という仕事が多くの偏見や蔑視にさらされながら、実は多くの人々の支えになっている様子が描かれている。
それに加え、去年震災ボランティアの宿泊所として始めて訪れた山形のすばらしい景色、どこからも山が見渡せ、特に印象的な鳥海山をバックに主人公がチェロを弾くシーンなど、山形の美を堪能できる。 日本のさびれゆく街の様子が話ともマッチしていて、(ここには、家でみとられる人、村の中を送られるひとも存在する)さらにすばらしい映画となっていた。
原案となっている納棺夫日記の舞台は富山で、富山の映画サポートに対する消極的な態度が問題になったとか、鳥海山バックの川原は実は蚊がめちゃくちゃ多くて、撮影は虫除けスプレーをたくさんして行われたとか、いろいろなエピソードもあるようだが、映画のよさを堪能できる作品だった。すごい興行収入と経済効果をもたらしたらしい。
久々にみてよかった、と心から思える作品だった。




























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